ポジティブシンキングLife

あなたのせいではないことを考える

■あなたのせいではないこと

個性的に生きたいとか、好きなことを仕事にしたいとか、自分に対するこだわりを大勢の人が持つ時代がここ何十年も続いています。戦後、多くの人が気を張って生活していかないと明日食べる米がないという時代は、今のように自分にこだわることはできなかった。家族の健康に気を配り、隣近所へ気を遣ってそれで毎日が過ぎていった。考える暇もないから、今のように「本当の自分さがし」みたいに答えがでない悩みに延々と振り回されることがなくていい時代だったという側面もあります。しかし、食べるためにしたくない仕事を延々とやって行かざるを得ない時代でもあったわけですから、考え方によっては、今は昔に比べて良い時代になったと思います。

今、幸せでもないし、かと言ってものすごく不幸でもないし…という中途半端な気持ちで生きている人は、中途半端にしか生きられない理由はあなたのせいではないということ知るべきでしょう。 戦後生まれの私たちの両親は、私たちをものすごく過保護に育てています。親は親で勝手に好きなことをしていて、中学生くらいで自分のご飯は自分でつくりなさいとか、自分の洋服くらい自分で洗濯しなさいとか、そうやって突き離されて育った人は少ないと思います。

突き離されないから、子どもは、過度に親の期待に応えなくてはならないと思ってしまいます。人の期待に応えることばかりを考えて10代後半まで育った子どもは、自分が本当はなにをしたいのかを見失います。突き離されて好き勝手に育ってくれば、自分がしたことの責任は自分で負えるように育ちますが、過保護だとそういう責任感も芽生えない。よって、人の期待に応えながら、自分に責任が回ってこないようにするという、なんとも中途半端な気持ちのまま、成人式を迎えます。中途半端なあなたの性格は、親や学校に形成されたようなものです。

自分で納得すること

■自然の摂理に素直に考えたら、親は自分よりか20年か30年はやく亡くなります。

親がなくなる前に、親を安心させてあげたいという思いは、誰しもが持っている感覚です。親を安心させてあげようと思うと、あなたのその中途半端な性格をどうにかしないといけません。中途半端な気持ちのまま、どこかに就職して、定年までさして面白くない仕事を延々と続けて一応の安定感のある生活をするというのもいいのでしょう。全員が自己実現とやらに向かって走り出せば、社会がやかましくなります。活気があっていいとも思いますが、社会が機能しない側面も出てくると思います。

また、生まれてきた以上、なにがなんでも自己実現をしなくてはならないと決まっているわけでもないのです。「人生、中途半端だけど、まあこんなもんかな」で済む人生を選択するのであればそれはそれで尊い選択だと思います。 感謝をしながら親を安心させたいのであれば、責任を自分で負う人生を歩むのか、長いものに巻かれながら生きていくのか、どちらかを今決めましょう。 責任も負いたくないし、さりとて長いものに巻かれたくもないという考えは、社会は受け入れてくれません。二者択一です。

ダイジョウブ、できますって

■自分で責任を背負って生きていくと決めた場合

多くの人はシンドイ思いと一緒に生きていくことになります。たとえば自分で商売を始めるとします。赤字が続けばそれを補てんするのもあなたです。家賃が払えなくて、大家さんにアタマを下げに行くのもあなたです。売った商品で誰かがケガをしたとなれば、その責任の何割かはあなたが背負わなければなりません。誰もが知っていることですが仕事とはトラブルの連続ですから、連続するトラブルのほぼすべてがあなたの身に降りかかってきます。それを全部背負って、それでも前に進んでいくことが求められます。

長いものに巻かれていても、それはそれで大変です。長いものに巻かれて生きようと思えば、たいてい会社勤めという選択になります。部長が決めたことが自分の意に染まなくても仕事は完遂しなくてはなりません。仕事ですからね。仕事の量が少なくて、今日は午後から出社しようかなと思っても、定時に行かなくてはなりません。仕事もないのに定時に行くなんて馬鹿げていると思うのであれば、その気持ちと、自分が会社勤めであって自分の意のままに暮らせないという気持ちとが、心の中で葛藤します。そういう葛藤をなんとか沈めて、日々平穏無事に生きることが求められます。人によっては定年まで葛藤が続きます。

過保護に育ったのは、あなたのせいではない。親に比べて子どもは不自由で無力ですから、100%子どものあなたのせいではない。でも、育ててくれた以上、そこには親の愛情があります。親はなにも責任感のない中途半端な子どもに育てようと思ってそうしたわけではないのです。親は、戦争の苦しさを知っている親に育てられました。だから愛情が過度になっています。親と親友のような関係を築くことができれば、自分の生き方は自然と決まってきます。自分で責任を負う生き方も、長いものに巻かれて生きる生き方も、決めた以上、人はそれをまっとう出来るようになっています。安心してどちらかを選択しましょう。