ポジティブシンキングLife

シアワセになりたかったら

■テレビを観ながら感じる言葉にならない気持ち

何年か前に、子どもが回転扉に挟まれて死んでしまった事件がありました。テレビのニュース番組やワイドショーがそれを盛んに報道していました。今のテレビはどういうわけだか、事実だけを報道するということがなく、アナウンサーやゲストコメンテーターと称する人のコメントが必ずついてきます。そのコメントのなかで、回転扉を設置してあるビルの管理責任を追及するというような意見はたくさん聞きました。

しかし、親は小さな子どもから目を離してはいけないとか、回転扉はいろんなものを挟む危険性もあるから、子どもの手を離さないで、自分たちの身は自分たちで守りましょうというような意見は一切ありませんでした。そういうことを言わないから、回転扉=危険=使用を中止してしまえという薄っぺらい世間の風潮になって、以後、あらゆるビルの回転扉が使用中止になりました。もちろんビル側の管理責任はあります。でも自分の身は自分で守るという当たり前のことを主張しないメディアの罪も大きいのです。

メディアはスポンサー商売なので、スポンサーから嫌われる意見を言わないという大前提があります。たとえばコマーシャルを垂れ流している大手のメーカーのシャンプーだって、別に体にすごく良い成分でできているわけではありません。どちらかと言うと体に良くない成分で出来ています。でもそれをつつく報道番組もなければ、シャンプーを批判する意見も全然出てきません。シャンプーを否定してしまえば、シャンプーのメーカーから年間何十億円も入ってくるスポンサー料金が入って来なくなるので、メディアは黙っています。 そういう仕組みの上に成立しているテレビ番組を観ていたら、言葉にならない気持ちがたくさん生まれます。「このキャスター、白と言っているけど、本当は黒だよな」とか、テレビを観ている側の気持ちに、数々の疑問が芽生えますが、その気持ちもテレビを消した瞬間にどこかに消えます。毎晩100%「楽しかったわ」と満足してテレビを消す人はいないのではないでしょうか?

なぜ?

■テレビを観ながら生まれてきた数々の疑問を大事に育てることこそが

私たちが幸せに生きるヒントになります。私たちは、どちらかと言うとモノを考えないように教育されてきています。学校で「なぜ」勉強するのか?それに対し、明確な答えを示してくれた経験を持っている人は少ないと思います。「なぜ」受験勉強をする必要があるの?「なぜ」一流大学に私は行くの?行こうとしているの?すべての「なぜ」が風の中に紛れて消えていって、答えを持たないまま私たちはどんどん大人になって行きます。

「なぜ?」という問いを自分の心の中で大事に飼い続けて、3ヶ月や半年くらい、事あるごとに考えてみましょう。 なぜ、日本では回転扉は危険と言われて使用中止になるのか? その問いを考え続けたら、「なぜ」が次の「なぜ」を呼び、最終的には自分がどう生きるべきかが見えてきます。これが正解という唯一の答えなどありません。

自己責任を負わなくても生きていける日本なんてつまらないから海外で仕事ができるようにしようと思う人もいると思います。日本全体がなにかあったらすぐに責任を追及しだす社会だから、家族と職場の人間と少ない友人だけとで、のんびりと生きていこうと決心する人も出てくると思います。 「なぜ」を追求していけば、必ず個人の生き方の問題に辿りつきます。学校では教わらなかったと思いますが、暗記すること以上に考えることは重要です。 欧米の優秀な人は常に「なぜ」を考えます。そういう社会的な風潮があるので、常に考える。だから、インテリアにしても洋服にしても、日本人が考え付かない独創性と豊かな感性に溢れているものが出来上がります。

リスクをとってまでも、やるべきこと

■日本において「なぜ」を考えていたら

シンドイから考えないという人が多いのも事実です。日本の企業、たとえば以前国営だった電話会社などは、「なぜ」を考えていたら定年まで勤まらないと言われます。日本のお役所仕事とはそういうもので、そういう雰囲気はこれからも変わることはないでしょう。安定した高いお給料と引き換えに、「なぜ」を頭から追い払うことが仕事という側面がある以上、人は安定した給料を求めます。

「なぜ」という問いを持たずに、安定した生き方をする人を否定できない理由もここにあります。みんなお金を稼いで生きていかなくてはならないので、よほどの反社会的な行い以外は、否定するべきでもないのです。 それでも「なぜ」という問いを持たずに、毎日受験勉強みたいに、竹を割るかのごとく絶対唯一の正解だけを信じて生きていけば、いずれ人は息が詰まってきます。それが「なぜ」なのか、よく考えてみたらいいと思います。そういう疑問を持たずに平穏無事にこの世を去ることだって出来たのに、疑問を持ってしまったのは「なぜ」なのか。考えてみたら面白い答えに出会えます。