毎日をもっとHAPPYに過ごすための法則 ポジティブシンキングを養う!

ギスギスした世の中だと思いませんか?

■9月12日とペットボトルのお茶

ハッピー,人のため,ポジティブ,いい加減
最近、世の中がギスギスしているなあと思ったこと、ありませんか?間違い探しをして、そこを評論家みたいにつつく人が増えたように感じませんか? 社会って、言い方は良くないかもしれませんが、「下」のレベルの人にその基準を合わせる傾向があって、911のテロがあったから、その教訓を活かして、飛行機に乗る時は液体物を機内に持ち込まないようにしようという決まりが出来たりしました。

一般のなんでもない「いち庶民」が、機内で喉が渇くから飲みかけのペットボトルのお茶を持ちこもうかなと思っても、2012年の現在ではそれはできない。機内が乾燥しているから化粧水の大きなボトルを持ち込もうと思ってもそれもできない。 なぜなら液体を持ちこんで、とんでもないことをした人がいるから。問題が起こったら、その問題が再発しないように、いろんな決まり事をつくって、ふつうに暮らしている人がなんとなく生きていきづらい空気ができる。それはそれで、ある程度仕方のないことなのかもしれません。

同じ問題を繰り返さないようにするために、決まり事を作って、みんなでそれを守りましょうという、ある意味では成熟した社会なのです。戦後のドサクサに紛れて悪事を働いて、それをうやむやにしてしまう社会を考えたら、ものすごく社会がいいように成熟してきています。 問題は、いったん決めたルールに意見を言えない風潮があることです。ペットボトルのお茶くらい、飲み掛かけであっても機内に持ち込めるようにして欲しいとか、そういうことが仲間内で多少の愚痴として語られることはあっても、911の犠牲者のことを思ってか、そういう議論は公にされない。少なくともそういう議論がされているのをテレビや新聞で見たり読んだりしたことはありません。ないですよね?

人が人のためにすることなのに

■一般の企業もそうだと思います。

コンプライアンスという概念ができておそらく10年以上は経つと思いますが、コンプライアンスが各企業に制定されてから、仕事にやりづらさを覚えた人も多いのではないでしょうか?

以前は、部長のハンコを預かって、適当に押していたハンコも、いまはそういうことができない企業の方が多いと思います。コンプライアンスがあるから「もし、なにかあったら」という部長の心配が、勝手にハンコを押せない雰囲気をつくっています。これまでうやむやにされていた小さなトラブルがコンプライアンスによって表面化して、きれいに仕事がまわりだしたという側面だってあるものの、みんなでコンプライアンス守ることで、なんでもない1枚の書類がいつまでも部長のハンコ待ちになって仕事が進まない。 それを誰も改善しようとは言わない(言えない)。コンプライアンスは戦時中の言論統制みたいな役回りさえをも担ってしまっています。本来はそうではないのにもかかわらず。

結局、みんな人を信頼したいと思っているけれど、「もし、なにかあったら困るから」決まり通りにやる。部長だって、さして意味のない書類にハンコを押すくらいなら、信頼している部下にハンコを預けて、勝手に仕事を進めて欲しいと思っていると思います。それが長年一緒に仕事をしてきた相手であれば、なおさらそう思うと思うのです。仕事にスピード感があるし、お互いにやりやすいし、信頼関係で楽しく生きていきたいから。 でも、信頼関係を優先させて「もし、なにかあったら」誰も100%の責任を取れないからコンプライアンスを順守する。仕事は人が人のためにするものなのに、みんながコンプライアンスのために仕事をしている。社会全体がどことなくお役所の雰囲気になっています。

いいかげんは「良い」加減

■それでもうまくいっている会社はうまくいっている

ペットボトルのお茶を機内に持ち込めなくても、「ああ、不便だわ」で笑って済ませて楽しく生きていっている人はいます。そういう人は意識している、していないにかかわらず、どこかしら人を信用しています。社会ではどんどん決まりごとが増えていって暮しづらくなっているにもかかわらず、どこかしら人を信頼しているように見受けられます。

それってある種の頑固さだと思うのです。世の中がどう変わって行っても、私はこう生きるみたいな頑なさ。そういう頑なさは、ある程度いいかげんさを持ち合わせないと生まれてきません。極端に言ってしまえば「世の中がどう変わろうとも、私は私で楽しく生きる」ということ。

決まり事を重たく考えすぎないで「良い」加減、いいかげんに生きているわけです。限りある人生をハッピーに生きようと思うと、いいかげんであることが大切なのかもしれません。 もっとも、みんながいいかげんに生きだしたら、そこに付け込んでくる人が増えるはずです。どんな時代もグッドニュースとバッドニュースの絶妙なバランスの上に成立するものなので、いいかげんさを逆手に取る人は、どれだけ時が流れても一定不変の数が存在するでしょう。いいかげん、バランスが崩れないかなと、時代という摩訶不思議なものに淡い期待を寄せたりもします。